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友人の祖母は、老人ホームで「自力でご飯が食べられなくなったら(安楽死させて)」という指示を生前だしていたらしい。親しくしているアメリカ人の友人の話だ。残された家族には酷な話で、安楽死させる処置をする医師の気持ちもいかばかりか、と考えてしまう。

でも、自分が似た立場だったら、選択肢としてあるのなら、考えないといったらウソになる。
日本ではまだ公開されていないということなので「ネタバレ」でこれから観ようと思っている方々の体験を台無しにしたくないので、詳細は避けるが、映画のなかで、アリスが自分の病気について聴衆に話すシーンがある。そこで、 I’m not suffering, I’m struggling. と語る。
ここのシーン、そしてセリフが私にはとても印象的だった。娘と観ていたのだが、気づかぬうちに仕事のことを考えてしまう。もし、このスピーチの通訳を任されたとしたら、どう対応しただろうか。ここは、ちゃんと意味も背景にあるものも、そして温度も、しっかりと伝えることが大事だ、と感じた。この感動を過不足なく、しっかりと伝えなければならない、と。
『五体不満足』で乙武さんも書いていたけれど、「障害は個性」、と言おうか、「障害は特徴」と言おうか。
(このあたりの考え方ですが、いろいろと意見が分かれるところで、これだけで立派に議論が成り立ってしまうので、ここでは掘り下げることはしません。) 
この1センテンスで彼女は何を言おうとしたのだろうか。
  • suffering  苦しむ、苦痛を経験する、我慢する
  • struggling  もがく、苦労して進む、苦闘する
suffer していないが struggle している。つまり、苦しんでいるのではなく、苦労している。Cambridge Dictionaries On-line によると “a very difficult task that you can do only by making a great effort ” つまり、struggleには痛みが伴うとは限らない。
suffer は否定文や疑問文では「我慢する」というような意味合いがあり、つまり「受身」だけれど、struggle のほうは、上記にあるように「苦労して進む」「努力している」―つまり、「能動的・積極的」である。
どこかが痛いわけではないけれども、(以前は当たり前にできたことができなくなって)ひとつひとつやりこなすのに苦労している、それでも負けじと戦っている(ともすれば負けてしまいそうになるけれど)―ということではないか。
彼女は、痛みや苦しみに絶えているのではなく、もがいている。あきらめず努力を続けている。ほんとうに、自分で考え出した、いろいろな工夫をして努力している。そのひたむきな姿に感動する。
そして、病に倒れたとき、自分はこれほど勇敢で、ひたむきでいられるだろうか、身につまされる思いと同時に、負けるとわかっている戦いでも最後まで全力で戦わなければならないとき、自分はこんな風になれるだろうか。
こんなことを考えながら、亡くなった父のことを思い出した。父のことは思い出すというより、いつも頭のどこかにある。父の病気はアルツハイマーではなかったので、同じではないが、向き合い方がもう少し後ろ向きだった気がする。
ひたむきな生き方、あきらめない生き方は、勇気と精神力、そして体力が必要だ。病気が何であれ、こんな強い生き方ができる自分でありたいと思った。そこまでしてでも戦う価値のある戦いがあると、そのことを改めて考えさせられる映画であった。
(Photo: https://vimeo.com/117595120)